オタク間の内ゲバ開始の狼煙??

まずは
メカビ】おめでとうございます【再出荷決定!】

メカビ Vol.01

メカビ Vol.01

次は増刷かなっ。順調に売れているみたいですし。*1
(以下の日経の記事引用部分の赤太強調は筆者による)

■ 商業出版の雑誌として、仮想敵はどの辺に?。

松下 仮想敵としては、同人誌です。

■ は?

松下 既存の商業媒体というよりは、同人誌には負けられない、内容も売り上げも、という。

井上 そうですね。既存の媒体の中には、仮想敵とかライバルは1つも想定していないですね。

■ ライバルは同人誌。

井上 商業上の競合誌は存在しないと。

■ それが、井上さんの作戦だったんですか。

井上 ということはないんですけどね。元々は、もっと従来の雑誌と違う発想のものはないかと思ったんです。


マーケティングに背を向けて


松下 今、雑誌の方法論というのは、マーケティングをして、広告をして、どういう読者に対して広告費を当て込んで作ることができるかということばかりですよね。それは本来の雑誌の在り方じゃないだろうと。読みたいやつらに向けて読みたいものを、そういうのを作れるヤツが本気で作るのが雑誌の原点の在り方ではないだろうかということ、それが元にあるんですよ。

井上 そういうことを言っている間に、オタクや萌えという言葉が、その旧来の文脈のメディアに乗りかかっているのが、我慢できなかったんです。

■ なるほど。

松下 (メディア側が)実際にオタクや萌えを、金の成る木だとか思っているかどうかは知りません。けれども、そう感じさせるものが、僕ら出版界の方からも出ていますよね。

井上 表向きはオタクはこれからのトレンドだ、萌え市場はすごいとか言っていますが、じゃあ、例えば、僕らが思い描く読者さん向けのコアな書籍をすぐ出せるかと言ったら、出せていないわけですね。

■ それはそうですね。

井上 そういうような何とはなしのフラストレーションというのがあって、企画の提案にいっちゃったんです。マーケティング抜きで、本当のオタクが喜ぶであろうものだけにフォーカスして、全然違う発想のやり方でと。

松下 それに対して理論的な言葉を与えてくれたのが本田透さんというスーパーバイザーの方で。「オタク同士でけんかをしてもしょうがないだろう、みんな仲良くやろうじゃないか」と。競争ではなくて共感だ、と。

■ 松下さんは巻頭言に同じことを書いていますね。

松下 ええ。放課後みんなで盛り上がる楽しさというものを詰め込むことが雑誌の原点ではないかと。

■ 決まり文句ですけど、「自分が欲しいモノを作った」わけですか。

井上 そうやって始めたところで若い松下が前面に立って、自分の感性というのをちゃんと信じて最後まで来たことで、「メカビ」は形にできたのかなというのがありますね。余談ですが、僕なんかはやはり年を食っているので、もし主導権を取っていたら、むだな喧嘩を始めて、「××という評論家は許せん」とか、そういうノリになったと思うんですけどね。


(中略)


対象読者は「漢」の読み方が分かる人


■ 表紙で「男子は皆、オタク」と言い切ってますね。

松下 これは堀田さんが作りました。キャッチフレーズの「萌え世代のモブカルチャーマガジン」が、もうひとりのスーパーバイザーの本田(透)さんです。

■ モブカルチャー?
井上 モブカルチャー。サブカルチャーでもカウンターカルチャーでもない、新たな協調を主体とした文化というのが。

■ 協調を主体とした文化といいますと…。

井上 要するに、「二元論的な視点に絡め取られたらいけない」ということです。ああ、だんだん僕も松下の話を聞いているうちに言えるように
なってきた(笑)。

■ 二元論というのは。
井上 「オタク」と「非オタク」ですね。僕も含めて、旧世代のメディアはみんなその発想になってしまうという。

■ なるほど。最近、岡田(斗司夫)さんが「オタク・イズ・デッドというイベントをやりましたよね。

井上 そうなんですね。オタクの中でオタク間の世代間闘争をやるとか、ぬるいオタクとハードなオタクとを分けるとか。

松下 そういう闘争は全部、意味がないとぶった切るのが萌え世代であり、モブカルチャーだと。「いいじゃないか、これが好きだと言っているだけで」と。

■ 何か前に出ていく話で、いいですね、そういうのは。

松下 本当にそう思います。

仮想的が同人誌であるというのは、雑誌の原点回帰として非常に頼もしいなと感じました。今現在、数ある出版社の勃興期を支えた雑誌は、必ずしも商業目的ではなく、純粋に文芸を語るための同人誌のようなものだったと聞いた事があります。(初期の「文芸春秋」なんかがそんな感じだったそうです。)
メカビ」も途中で路線変更はあるかもしれないけど、志高く「文芸春秋」のように長く続いていって欲しいです。(できれば、その中からオタク界の芥川賞なんかができたら面白いなと感じます。)

また、

オタク・イズ・デッド」/オタク同士でけんか/オタクの中でオタク間の世代間闘争をやるとか、ぬるいオタクとハードなオタクとを分ける

といった動きは、他の表現文化(例えば小説・詩・音楽・絵画)でも必ず成熟の為の通過儀礼としてあったので、自分は必ずしも否定はしません。
しかし、かつて岡田斗司夫氏は著書『ぼくたちの洗脳社会』や『マジメな話』等でオタク文化が他の文化(例えばアメリカン・ヒップホップカルチャー等のサブカルチャー)と衝突することを肯定しましたが、オタク文化内での“内ゲバ”に関しては述べられてはいませんでした。(ひょっとするとその時点ではオタク文化は特別な物と考えておられて、他の表現文化にあったような内部対立・世代間対立は起こりえないと考えられていたのかもしれませんが……。)
ですが、この“オタク間の内ゲバ”という動きも長い目で見れば、オタク文化成熟の為の通過儀礼として必要なのかと自分は感じています。
《参考文献》

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)

ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)

マジメな話―岡田斗司夫 世紀末・対談

マジメな話―岡田斗司夫 世紀末・対談

*1:福岡では入手が困難っ!