新しい時代のノーブレス・オブリージュ

 むしろ、日銀の総裁とはどういう役職で、どうあるべきかという議論は、実は日本のなかでほとんどされてこなかったのだ、ということが、明るみに出たわけである。現職の福井総裁はどんな人で、どんな人と親密であって、どういった経緯で日銀総裁に就任したかなんて基本的な話も満足にマスコミに出回っていなかった。いや、経済や市場をある程度見ている人であれば基本情報として知っているはずなんだけど、じゃあそこから一歩先に出て、どういう仕組みで日銀が回っているか、日銀ではどのような議論が行われているかといったところまでは詳しく知らない。一方で、政策や日銀について詳しい人に限って、今度は世間がどう回っているのか、ちっとも理解していなかったりする。

そんな「李下に冠」だの「瓜田に履」だのと小難しいことを考える必要はない。要は原チャリしか運転したことがない奴に40トントレーラー運転をあなたは任せたいですか、ということなのだ。大きな乗り物は、小さな乗り物とはまるで別の運転テクニックを必要とする。トラックであれば、交差点を曲がるのにまず逆にステアリングを切らないと曲がりきらない。ましてや、日銀総裁というのは、トラックどころかタンカーのパイロット(水先案内人;こちらが本来の意味)にも相当する職だ。これほど庶民に不向きな職は、あとは総理大臣ぐらいだろう。

選良が庶民であってはならないのは、誰よりも庶民のためなのだ。ところが、民主主義というのはその庶民に選良を選ばせる。そして自分に理解不能な者に信頼を寄せるということを、庶民はあまり得意としていない。勢い「庶民的」な者を選んでしまうわけだ。

今のところ、日銀総裁相当の職を選挙で選出している国がないのも、その事の反映かも知れない。庶民が務めるにはあまりに危険な職なのだから。

二人のアルファブロガーがほぼ同様の見解を示していることが興味深いところだが、結局は"貴族制度"や"特権階級"をひきずりおろす庶民的な動きが大局的に見たときに本当に良い結果を得るか問うていると思う。
お隣の国・韓国の"アマチュア指導者"ノ・ムヒョン大統領閣下を見ていると、必ずしも「庶民が一時の気まぐれな感情」で指導者を選ぶことが良い結果を生むわけではない*1ということがよく理解できる。*2


では理想的な指導者とはいったい何者なのだろう?


ノーブレス・オブリージュを持つ気高い志を持つものが、今、現在の日本から生まれる可能性はあるのか?
それとも、マスゴミ等による徹底的な指導者叩きを経て、"アマチュア指導者"が生まれ、その率いる素人集団の運営によって日本の政治・経済がガタガタになるのを見過ごしていくしかないのか?


だが、ひょっとするとブログという道具は新しい"ノーブレス・オブリージュ"を誕生させるのではないかと、私は密かに期待しているのである。

マジメな話―岡田斗司夫 世紀末・対談

マジメな話―岡田斗司夫 世紀末・対談

小室直樹氏とオタキング岡田斗司夫氏の対談中のエリート・指導者育成に関する小室氏による解説部分が秀逸。)

*1:むしろ危険ですらある

*2:ひょっとすると百年後の政治学書のネタになっているかも