アバター的ファッションの時代

先ほどのエントリーで、「総しまむらー化」と書いたが、書きながらそのファッション文化が何かに似ていることに気づいた。そう、アバターだ。
あのYahoo! とかGREEとかモバゲータウンなどで採用されている、リア充の為の自分を表すための「記号:アイコン」というには複雑すぎるアレだ。(広告を見る・有料会員になる・ポイントを買うなどして)貯めたポイントでカワイイ/カッコいいアイテムで飾りつけ、ドレスアップする文化はしまむら的なんじゃないだろうか?
しまむら系ファッションは実のところ極めて刹那的だ。安いが決してダサくなく、そのカワイさを重視した装飾的な布(レースなど)はわずか数度の洗濯で傷んでしまい、着用することは難しくなるという。だから、しょっちゅう買いなおし、結果として様々なファッションを楽しむことができるのである。*1
その長く着れないという事実を覚悟の上で、自分のおこずかいで自分を一時的にでも飾り立てる行為は、アバターのドレスアップとそれを頻繁に着せ替えさせることによってアイデンティティーを獲得する行為にとても似ているように思えるのである。
それはある種「コストが掛からないためのために、あたかも消費感覚がマヒしてしまったような状態で、「自らを着せ替え続ける行為」は賽の河原にさえ似ている」ように感じたのだが、彼女らの感覚は自分とは違うのだろうか?それとも自分が取り残されてしまっているのだろうか?

*1:さらには、失敗を恐れることなくプチ冒険もできる